世界の先進国の中で恐らく日本ほどあらゆるものに対して不透明な国はないでしょう。自由競争を許しているはずなのに、実は不文律がいっぱいあって新規参入が極端にしにくい仕組みになっている。ここが諸外国から責められている一番の問題かもしれません。日本の場合はそれが極端に多く、小さな集合体(例えば集合住宅や公園)などにも絶対的なルールとして存在します。この不文律を知らないために新参者は辛い思いや惨めな思いをする、そんな経験をされた方も多いでしょう(私も帰国後1年目にそういう思いをしました)。この不文律は人間社会どこでも存在するものであり、ある程度は必要なものです。しかし、日本の場合多すぎるのではないでしょうか? では、この不文律は誰が作って、誰がそれを守る事を強要しているのでしょう。多くの場合は、それら不文律によって何らかの恩恵を受ける事の出来る既得権益者と呼ばれる人達によって作られ、強要されているのです。この既得権益者の話はまたの機会にしますが、今回は情報開示の持つ意味と開示することでの説明責任について触れて見ようと思います。

情報を公開するということは公平さの保証をすることに通じます。情報というものは、いつの時代も力の源でした。経営学の世界ではかなり前から「情報」を組織の重要な資産の一つとして管理すべきものと捉えていましたが、情報化社会と呼ばれる今日では、情報の価値はより強く認識されるようになったのかもしれません。当然、人の知らない情報を多く持った者が勝ち組みに入れる可能性が高いわけで、そのような情報を持っている人達に情報や入手方法を公開することが社会的に意義のある正しいことだと説明しても納得するはずも、積極的に協力してくれるはずもないわけです。また、自分達で作った、或いは処理した情報を公開するということは、必然的にその情報に対する説明責任が発生します。つまり情報は持っている側からすると秘匿していた方が価値があり、責任も発生しにくいという性質を持っているわけです。情報開示に際して、プライバシーがどうとか、機密がどうとか色々言って反対する人も多いようですが、実際のところは既得権益の確保と責任を負いたくないというのが多くの場合の本音でしょう。

情報公開は公平さを保証すると言いましたが、その良い例が、いま騒がれている○△大学の採点ミスの発覚です。これは大学が入試の科目ごとの採点を開示した結果、受験生が誤り(偶数でなければならない配点が奇数になっていた)を発見し、それを大学側に問い合わせた結果分かったものだそうですが、情報公開の消費者側(受験生)へのメリットと、それを開示する側の説明責任がはっきりと現れたケースと言えるのではないでしょうか。このようにあらゆる業界・分野で情報開示が進んでいけば日本全体の透明性も増していく事でしょう。

さて、今回もこの話とテレワークの関連性は?と悩まれている方がいらっしゃるでしょう。実は、この情報開示はテレワークを含むネット社会の大前提になるのです。一組織でテレワークを導入する場合も、組織内での情報公開・共有が進んでいないとテレワークの普及もまず間違いなく頓挫します。直接会う機会が極端に減少するテレワークでは上司も、部下も、同僚も全てに対して疑心暗鬼になりがちです。それを払拭する特効薬が情報公開・共有の原則なのです。これは電子商取引にも共通で言えることなのですが、ネット上での信頼関係を築く上で、情報開示は最低限のルールとなるわけです。