「人事を尽くして天命を待つ」には、責任の所在を明らかにするという意味もあります。つまり、人には人の天には天の理があり、人は人のなすべき事に専念し、天に頼るなということです。実は、人事を尽くそうが尽くすまいが天命は下り、(ご存知のように)それはポジティブの場合もネガティブの場合もあります。ただ、人事を尽くしていない者に天が助けを出すということはまずありません(一般的にはこれを奇跡と呼びます)。従って、自らの力で自らを助けるというのが大原則です。過保護は周り全てを駄目にすると考えるべきです。今の日本は子供から大人、果ては組織まで大過保護時代です。自己責任を原則とする米国と大過保護時代にある日本との象徴的できごとがあります。米国のK-マートと日本の大手小売業チェーンのケースがそれです。前者は米国政府が助けを出すことも無く最近倒産してしまいました。後者は倒産の可能性があるところに政府が助けを出そうとしています。両者とも大手業者で倒産すると連鎖倒産も含めかなりの社会的インパクトがあります。この社会的インパクトを後者の場合は政府が助けを出す正当な理由としているようです。しかし、これは非常に近視的見方です。長期的な展望や他への影響(海外の投資家を含め)を考えると「人事を尽くして天命を 待つ」を貫くべきです。その結果が倒産なら、それはそうなるべき運命なのです。そして、大型倒産は確かに一時の大きなインパクトがありますが、それでその市場が消えてしまうわけではありません。誰かが取って代わるだけの話しです。潰れるべきところが潰れるという極当たり前の現象が自然に起こることは逆に周囲に安心感を与え、各業界の活性化とメンバーの自己責任の意識を高めます。

ちなみに日本と米国の金融業界(銀行や信金など)に対する政府の対応も陰と陽の差があります。倒産の危機にある企業が本当に救いようの無いものなら潰すべきです。下手な延命は社会的コストを増すだけです。しかも、潰すことで強い企業へと再生できることもあります。むしろ、再生の可能性と価値のある企業には政府は絶対に手を差し伸べるべきではありません。その企業の正しい再生を遅らせる可能性の方が高いからです。(結局、どちらの場合でも政府は手を出すべきではないということです。)実は、倒産が必ずしも悪くないという良い事例があります。牛丼チェーンの吉野家の事例がそうです。吉野家は1980年に倒産したにもかかわらず、昨年上場という鮮やかなカムバックを見せました。倒産当時いろいろな専門家が様々な倒産理由を述べていましたが、本質的問題を指摘していた評論は見当たりませんでした。大方の意見は「牛丼単品であれだけの大規模展開は無理だった」というものだったと記憶しています。その見方は間違っていたということは実証済みです。実は倒産当時でも100余りの非常に優良な店舗があったのですが、新しく展開した多くが赤字の不良店舗であり、それらの店舗を潰せなかったことが倒産へと導いたのです(もちろん、理由は複合的で他にも幾つかあるのですが、これが出来ていれば倒産はなかったでしょう)。当時の店舗展開部門の明らかな力不足はさておき、社長の”scrap and build”という店舗展開の方針を実行できなかったことが致命的でした。FCオーナーとの関係などから明らかな不良店舗を潰せずにコストとして引きずってしまったのです。そのような店舗が数十店に達したとき会社はついに悲鳴を上げて倒れてしまいました。ところが倒産したおかげで、全ての不良店舗を切り捨て優良店舗だけで再生の道を辿ったのです。この為に、再生後直ぐに大幅な黒字になっています。注目すべきは、倒産当時よりも多い店舗数でしかも当時より安い価格でしっかり収益を上げているということです。現在は狂牛病という外的要因による逆風が吹いていますが、人事を尽くすことを知っている企業として乗り切って行くものと期待しています。

(読者の皆さん、すみません。今回はテレワークとはあまり関係ない話でした。)